厚生と幸福

人の望みとよろこび

殉教

 独り暮らしでなくて良かったと切に思う。ここ数日は学生寮の友人たちと談話室に集まって各々の勉強をしたり、いつものようにスマブラをしたり、若干の季節外れの感もあるがもつ鍋をしたりして楽しく過ごしている。

 SNSをみるに、友人で独り暮らしの者は孤独と暇を持て余して、流行りのオンライン飲み会だの、ままならない就活からのプレッシャーに怯えてみるだのしているらしい。自分が独りなら彼らに倣っていただろう。独りの時間は精神衛生上欠かすことのできない重要なものだが、孤独はもっと毒だ。死んでいてもおかしくないのだ。

 卒論のための本を読んで、スマブラをして、ドラマを観て、適当にめしを済ませて、スマブラをして、朝がたにねむる、昼ごろには友達が起こしに来てくれ、勉強をして、スマブラをして、めしを食う。平時より張りのある生活をしている気さえしてくる。ツイッターにいる時間が減っているのが何よりの証拠だ。

 いまはスタンダールを読んでいる。卒論は肉体的な快楽と精神的な愛、あるいはキリスト教といったことにフォーカスしてみようと考えている。スタンダールは大のイタリア好きで、初期の中短編にはイタリアの古写本から翻訳、翻案したものがいくつかあり、イタリア年代記とよばれているが、『カストロの尼』という短編小説が白眉だ。

 みじかい小説なのであらすじをここに書くこともせず、気軽に読んでみることをつよく勧めるが、けだし傑作である。スタンダールの最高傑作であると位置づける向きもあるほどだ。『赤と黒』や『パルムの僧院』にもむろん目を見張るべきスタンダールの小説作法が光っているが、それらは長編小説としての魅力であり、『カストロの尼』には短編小説だからこその誤魔化しの利かない巧拙が立ち現れている。

 『チェンチ一族』には、なんの罪もないはずの貞節でうつくしい女が、どうしようもない運命から裁かれ死を余儀なくされ、神とともに斬首を受け入れる場面がある。信仰の篤い女の祈りが処刑人の斧によってぷつりと途絶えるこの瞬間は、鳥肌がたつほどうつくしいのだった。

 『サン・フランチェスコ-ア-リパ』はイタリア女とフランス人との恋愛を描いたとされているが、個人的にはやさしくて信仰心の深いカンポバッソ公爵夫人が、しかし生来の悲観と根暗になやみ、従姉のオルシニ伯爵夫人の快活で屈託のない性格に憧れるその感情に惹かれた。最後の結びかたもうつくしい。

 さて、ブルボンの濃厚チョコブラウニーというチョコレート菓子が大学生協でかなり売り出されていたのを覚えていた人もあるかもしれないが、私はこれが大好きで最近はよく食べている。ミニ濃厚チョコブラウニーという名前でスーパーなどでは大袋菓子として売られているので、見かけたらぜひ試してほしい。

 いつまでこの生活が続くのかと思うと気がおかしくなりそうだ。