憂鬱
昨日、稽古が始まった。本読みや舞台稽古をするより前に私の所属しているサークルでは暖気と発声のための一定のワークをこなす習慣になっている。まったく100年ぶりくらいに外を走ったり腹筋をしたりしたところ、完全に身体がやられた。咳やくしゃみをすると腹筋に鋭い痛みが走って限界だ。覚悟していたことだが、運動不足は本当によくない。
まるまる一年半ぶりに役者として舞台に乗る。ほとんど自分が役者だったことを忘れていた、というか、二度と演じることもあるまいとさえ考えていたこともあった。今回私に与えられた役はまさに私だと思える役で、稽古場にはこれ以上ない喜びがある。文字通りこの稽古場に私よりふさわしいものはないだろうと思えるような役とめぐりあえてよかった。このことだけでほとんど今回の公演は、私についていえば成功だ。あとは実直に役との対話と稽古を重ねていくのみである。
ツイッターでしばらく悩みを書き込んでいたことだが、キスシーンについては考えるのをやめることにした。舞台役者として真摯に向き合うならば、雑念を振り払ってその役の人物としてキスをするよりほかにないわけだし、相手役が仮にそうできなかったとしても私に非はないはずだ(と、信じることによってなんとかやっていく)。私が私の相手役でも私とはキスしたくないので、したくないものを前提に役者として障壁を乗り越えてくれることを、私の相手役には期待する。これ以上はだんだん落ち込んでくるのでやめる。
今日は試しに好きな曲を紹介してみる。私の私生活の話ばかりでは読者に退屈させるかもしれないから。
Angèleはベルギー人の歌手でフランス語で歌っている。そのかわいらしいルックスに反してかなり挑発的な皮肉を含んだ曲を数多く発表しており、いまもっともフランスで注目を集めている歌手の一人だろう。
Clip officielをみてほしい。
Angèle feat. Roméo Elvis - Tout Oublier [CLIP OFFICIEL] https://youtu.be/Fy1xQSiLx8U
冒頭にしめされるのはBaudelaireの肖像画である。これと照応するのはこの曲のRefrainの歌詞なので、すこし引用してここにしめす。
Le spleen n'est plus à la mode
C'est pas compliqué d'être heureux
Le spleen n'est plus à la mode
C'est pas compliqué
Le spleenとは「脾臓」という意味の英語から借用されたフランス語で、かつては脾臓に不機嫌や憂鬱といった感情がやどると考えられていたことから、フランス語では憂鬱という意味でもちいられる単語である。
あえて訳すなら、
憂鬱なんてもう流行らない
幸せになるのは複雑なことじゃないよ
憂鬱なんてもう流行らない
難しくないよ
といったところだろうか。
かつてはBaudelaireの詩がもてはやされ、世紀末のロマン派たちの憂鬱や複雑な感情が文学として受け入れられていた。しかし現代はもはや、複雑なことがむしろ忌避され、考えかたひとつで、気持ちひとつで幸せになれる、というような言葉がしんじられている。
「難しく考えずに幸せになりなよ」とか「幸せになるのは難しいことじゃないんだよ」といったせりふを聞いたことが、誰しも一度はあるように思う。 それが本当かどうかはともかく、Angèleがこうした「単純な幸せ」を信奉する人々を痛烈に皮肉っていることは確かだ。
ほかにもおもしろい曲はたくさんあるので、また機会があれば紹介したい。