厚生と幸福

人の望みとよろこび

統治の教場

 我がフランス文学研究室にはお世辞にも優秀な生徒が揃っているとはいいがたい。私はまったく勤勉で能力もあり、教室内の治安維持にも努めているつもりであるが、私一人のわずかな尽力では、愚かなる学生たちを前にすれば焼け石に水を注ぐようなものである。

 私がもっとも憂慮しているものは、学生たちのフランス語の能力である。我が研究室はいうまでもなくフランス文学の研究を行っているが、同時に実践的な文学テクストの原典を読みすすめる力を身につけるための、実用フランス語の学習も日頃からつよく奨励されている。

 しかし、学生たちはとにかくフランス語ができない。彼らのフランス語能力についてはまったく嘆かわしいものである、といわざるをえないだろう。

 教場ではほとんどテクストの講読によってフランス文学研究の能力を養成されている。学生たちが原文テクストを朗読してから、そののちに各々に作成してきた訳文を読みあげる形式だ。こうした過程において、学生たちの稚拙なフランス語を読み聞かされることは非常なストレスである。

 フランス語は美しい言葉だ。世界でもっとも美しい言葉のひとつだ。音楽的に流麗かつ論理的に明晰であり、そのことはフランス語の擁護者たち、改革者たちの不断の努力によってつくりあげられ、保たれてきた。そのフランス語の美学が教場では粉々に粉砕されている。一日たりとも欠かすことなくだ。

 散文テクストならまだ許せる。つっかえつっかえ立ち止まりながら読む学生の拙劣な音読も、読まれているテクストが散文であるなら辛抱できないこともない。しかし未熟な学生に詩が読まれるときは、思わず耳を塞いでしまう。

 私が学部を卒業するのが早いか、稚拙なフランス語を話す学生がたまらなくなって教場から逃げ出すが早いか、私にもわからないことであるが、心配である。